観音様が観音様になる前は、常泣菩薩と言われていたそうな。
常泣菩薩とは、いつも泣いている菩薩様。
なぜ泣いているのかというと、世界を見渡したとき、どんなにちいさな生き物でも、みんな苦しみを背負っているのを観じ、悲しくてしようがないから泣いてばっかりいた。
それが次の転生を果たした時に観音様になった。
常泣菩薩だった時は、ああ悲しいと言って、無力だけれども観音様になった時に、千手観音になる。
つまり千の手を持って、つまり技術を持つ。技術を持って実践に移っていく。
非情な悲しみ 慈悲と言われているものを持って、あの千の手を持ち、千の目を持ったものになっていく。・・・ただそこで泣いているだけでは済ませられないと、まさしくそこから悲しみをぬぐって立ち上がる性質が観音性というものである。・・・
ああそうかー、観音様も昔むかしは泣いてるばっかりだったのか。
だったら私たちも、だれもが観音になれる可能性があるかもしれない。
そして、千の手というのがそのための技術というのにすごく納得しました。ちょっと衝撃的なお話でした。
技術ってそうだよね。踊りの技術も。
【関連する記事】